お兄、早くも退職の運び…。

精神的ダメージ

…やっと、ブログを更新できる精神状態になった。

 お兄の就職。その後。

あれだけ、意気揚々と始まったわけだがやはり、現実は厳しかったらしい…。

以前、排せつ物の処理をしたことがあり「大丈夫」「平気」との事だったが、

朝から晩まで「下の世話」がメインの仕事となると考えていた以上の精神的なものがあったらしい…。

就職1カ月を過ぎた頃から、雲行きが怪しくなってきた。

お兄が住んでいるアパートは坂の上にある。スタッドレスタイヤを履いていない為

「自宅前の道路が凍っていて職場に向かえない」「頭痛」「吐き気」「発熱」

終いには「結構酷い自損事故」という理由で欠勤することが目立ってきた。

その時期、私は毎日職場の駐車場にお兄の車があるかチェックしていた。

あと2分で始業時間なのにお兄の姿が見当たらない。

毎日下駄箱をチェックし、靴がないとその日は朝から仕事どころではない。

昼食時まで様子を見て、お兄がまたしても休んだことを確認。

私は、スタッフに何度頭を下げたことか…。

それでも、お兄は「また一から始めるつもりで頑張る」と毎回奮起し出勤するのだが、

また休む。今年に入り、1月2日だけ出勤。

10日付けで退職となる1週間で私はお兄の本音を聞き出した。

理由は冒頭で記した通り。お兄が私と同じ職場を選んだ時しつこいくらい

「親子が同じ職場で働くということ」はどういう事か、就職後も伝えてきた。

だから余計、お兄は私の立場を考え本音を言えずにいた。

この仕事は、物理的に受け付けない人は続けるのは無理だ。

朝、出勤しようと車に乗るけど頭痛、吐き気が出現すると…。

これは完全にストレスからきていたもの。

「もう少しなぁ、頑張ってもらいたかったなぁ」

それが本音ではあるが、そこまで身体に拒否反応が出ている以上、

無理をさせて本格的に精神が病んでしまったらそれこそ取り返しがつかない。

私は、自分自身が病んだ経験があるし職場で嫌というほど見ている。

だから、何時も頭には「精神を病まないように」それを最優先している。

お兄が私の立場と自分の気持ちの狭間で葛藤して苦しんでいる現実を、

1日でも早く楽にしてあげたかった。

お兄が就職面接に来る時から就職中、「宜しくお願いします」「ご迷惑かけてすみません」

何度頭をペコペコさせたことか…。

そして辞めるとなればそれこそ陰でボロクソ言われるだろう…。

でも、自分にかかるそんな事はどうでも良かった。

そんな状態にあるお兄をすぐにでも楽にしてあげたかった。

辞める前、辞めた後と私はスタッフに暫くの間、挨拶のように謝罪の言葉を発していた。

お兄の就職から退職後までの気疲れ、ストレスが久しぶりに私の身体に出た

 

不安感

どうやら私は、本当は精神的に弱いらしい。また「命の母」に頼ることになった。

お兄が退職し約2週間後、出勤時に車の中で急に不安感に襲われた。

こんなことでまた不安感に襲われる弱い自分が嫌で

「あ~~~!!嫌だ嫌だ嫌だ。。。!!」

と口に出しその不安感にのまれないように行動した。

その後は不定愁訴に襲われることなく2月18日に至るが、予防のために

「命の母」に頼ることにした。でも、今回は3日間服用しただけで済んだ。

「飲まなくても大丈夫だな。」「あ、飲み忘れた!」

という感じで、今は服用せず過ごしている。8年前のあの時みたいにならなくて良かった…。

とにかく私は仕事以外のストレスに弱いことを改めて実感した。

特に子供のことには。

これからも子供以外にも色々なストレスと付き合っていかなくてはならない

その度に「不安感」に負けないように自分を強くもって生きていくコツは、

多分「ケ・セラ・セラ」「なんとかなるさ」「なるようになるさ」の考え方なんだと思う。

私は「こうなったらどうしよう」とか先のことだけを考えすぎてしまう癖がある。

だから自分の中でどんどん考えだけが先走り、一人で不安と戦う羽目になる。

分かっているのだが、そういう時って中々その負のループから抜け出せないもので本当に、

しんどいものである。

簡単に考えの方向転換が出来る人は、そもそも「不安感」などにはならない。

昔はこんなんじゃなかったのになぁ。

ブログのタイトルを「ケ・セラ・セラ」にしたのも自分に言い聞かせる為でもあり…。

これからもがんばって

プラス思考でいこうと思う^^

 


ストレス発散の代償。

 

 

2010年9月。私は体調を崩した。

多分、20年間のつけが回ってきたのだと思う。

 

 

殆ど依存症

 

私はビールが大好きだった。

これまで、よっぽどの体調不良でもない限りは毎日欠かさず飲んでいた。

仕事から帰宅し、まずは冷蔵庫を開けビールを一口。いや、3口。

それから夕飯作り、入浴、洗濯、洗濯物干し、昨日の洗濯物たたみ、

子供の世話、翌日の弁当作り、を同時進行で一気に行い21時には就寝。

帰宅して、ゆっくり腰を下ろすということは一切なく運動会のように走り回り、

その間350mlビール缶を2~3本は軽く飲んでいた。

ひどい時には、その後ハイボールを追加。角瓶を3日で飲み干すペースだった。

休日ともなれば、11時を過ぎると飲まなきゃいけないような気になり

昼間から普通に飲んでいた。

体調によっては、ビール2本を飲み終わるころに呼吸困難になってくる。

更に両腕両足に、じん麻疹が出てくる。

これは本当に体調によるので、こういった症状が一切出ない時もある。

呼吸困難の症状が出たら出たで、常備しているぜん息発作時に使っていた

気管支拡張剤の吸入をすれば治まった。そこまでしても、飲んでいた。

ところが、ある時この気管支拡張薬が効かなかったので立て続けに吸入した。

ナースにあるまじき行為である。その瞬間、貧血で倒れる感覚に襲われ、

そのままいたらスーッと死んでしまうのではないかという恐怖にかられ

フラフラになりながら起き上がり血圧を上げようと部屋をウロウロ歩き回った。

それでも倒れる感覚が治まらず怖くなり長男の部屋に飛び込んだ。

私がこのまま死んでしまったら、翌朝発見するのは子供達なのでそのショックだけは

避けなくてはいけないと思った。後に循環器を受診した時に、この気管支拡張剤で

命を落としている方が年に5人はいるとの話だった。

一命はとりとめたが、この時の恐怖感は以後5年先まで続くこととなる。

 

 

 

症状

 

冒頭で、20年間のつけと記したがストレス発散と称した「不摂生」である。

自分で自分の身体を壊した。壊している事に気づかなかった。

初めてこの説明のしようがない「不安感」というものに「り患」し、

初めてこの怖さを経験した。不安感に襲われると自分では、どうしようも出来ない。

この気持ちに潰されていく恐怖というものは、経験した者にしかわからない。

それでも私には仕事がある。子供も当時は、13歳と4歳。私だけが頼りだった。

この時期は本当に辛かった。TVを見ても全然頭に入ってこない。

むしろ、「また不安感が出たらどうしよう」とばかり考えていた。全然笑えなかった。

子供たちの顔を見ても、引きつり笑いにしかならない。

普通に会話していても何の前触れもなく涙が止まらなくなる。

布団に入っていても、不安感に襲われる。

通勤中のトンネルや雨、雪、などの視覚的な刺激や、何もしていないのにふとした時に

不定愁訴として、どうき、めまい、手の冷感、冷や汗、呼吸がしづらくなる、

倒れそうになる、そうなると負のスパイラルに陥る。

いつ起こるかわからないので、ビクビクしながら

毎日を過ごしていたが職場では、元気ないつもの私を演じた。

 

 

~~~~~次回へ続く~~~~~