再就職

 

退職後いつの間にか、つなぎのバイトを辞めていたお兄。

私は3月上旬に知る。

そして、寮付き家具家電付きの職場を見つけ、

12日に地元を出発した。

初の市外へ。

お兄が18歳の頃、行方不明になり色々あった

末に当時の職場であった建設業の寮にお世話

になった。

その時は不本意でそうならざるを得なかった

流れがあったが今回の様に自分の意思で一人

で行動に移したのは初めての事である。

 

今迄、裏切られた事数知れずなので大袈裟な

事はしたくないという、旦那の意向を最終的

には無視し、お兄の出発日の前日に祖母2人を

お誘いし、お祝い的なことを行なった。

 

地元から車で1時間半も走れば着く場所に引っ

越すわけだが、今迄のように頻繁には会えな

くなるわけで、そんな事を考えていたら何だか寂しくなってきた。

 

うまく説明出来ないが、子供の自立と共に子

離れしなくてはいけないのだ。

特に、お兄は誰も知らない所で誰にも頼れな

い環境で生活させないと、そういう経験をさ

せないとダメ人間になってしまう。

「させないと」という親心が通じたのか、お

兄は自分でその道を選んだ。

 

という事は、彼女とは遠距離恋愛??と思っ

ていたのだが、お別れすることになったのだ

そうだ。

 

「卒業」の時期に合ってるな…。

 

元々、彼女の家に転がり込んだ為、お別れす

るとなればお兄が出ていくしかないのだ。

実家には、居場所がもうないのだ。

お兄は、上京したいと前から言っていて兎に

角、地元から離れたがっていた。

なので、色々なタイミングが合致し今回に至ったのだと思う。

 

新しい職場は工場で3勤交代らしい。

高額な給与でもあり、まともに働けば余裕で生きていける。

車のボーナス払いの9万も余裕であろう。

まともに働けば、辞めなければ、の話だ。

そう。お兄は何せ続かない。。

せめて半年、1年がんばれ。

入寮して3ヶ月は寮費、光熱費がタダなのだか

らその分余計に貯金してごらんなさい。

少しずつでも貯金しないとダメです。

兎に角続ける。

でも、本当にキツい時には言ってきなさい

ね。

まず最初に父に。

精神的に追い込まれたら、取り返しのつかないことになる。

そうなる前にね、ちゃんと話してね。

 

母は、職場で自分で命を絶った人を何人も見てきている。

原因は様々だが、中にはお兄と同じ世代の男の子もいたのよ。

地元を離れ単身で寮に入り、何か思い悩み、自ら…。

そんな事にでもなったら、母は病気になるよ。

 

取り敢えず、初勤務を終え第1段階は順調な滑り出しのようだ。

 

このままうまくいってくれれば良いが…。

 

 

「この世で最も大変な職業は、親業である。」

 

どなたかの言葉であるが、本当にそう思う。

親になって初めて解る事というのは、当たり

前だが自分が親にならなければ解らない。

親の有り難さ、親心、子供を思う深い愛情、守るべき存在…。

親になると、自分の事だけを考えていれば良いとはならない。

生活スタイルも自分より、子供優先になる。

子供には、親の自分しか居ないのだ。

どこまで助けて良いか分からなくなる時もある。

あまり助けてばかりいては、子供が自立出来なくなる。

 

「甘えさせる」と「甘やかす」の違い。

「過保護」と「過干渉」の違い。

アンバランスだと子供の将来にかかってく

る。

子供の生まれ持った性格も関係するが、生育

環境は大切であり、その生育環境をもって更

に個々の性格が形成される。

どんな子供でも自分の子供は、我が身を削っ

てでも守らなければいけないと思っている

が、そのバランスが本当に難しい…。

私は先の事ばかりを考えて不安になる癖があ

るので子育ても、その時その時で対処していくしかないな。。

 

「そうなったら、なった時に考えよう!」

と、いつも自分に言い聞かせている。。

 

 


お兄、早くも退職の運び…。

精神的ダメージ

…やっと、ブログを更新できる精神状態になった。

 お兄の就職。その後。

あれだけ、意気揚々と始まったわけだがやはり、現実は厳しかったらしい…。

以前、排せつ物の処理をしたことがあり「大丈夫」「平気」との事だったが、

朝から晩まで「下の世話」がメインの仕事となると考えていた以上の精神的なものがあったらしい…。

就職1カ月を過ぎた頃から、雲行きが怪しくなってきた。

お兄が住んでいるアパートは坂の上にある。スタッドレスタイヤを履いていない為

「自宅前の道路が凍っていて職場に向かえない」「頭痛」「吐き気」「発熱」

終いには「結構酷い自損事故」という理由で欠勤することが目立ってきた。

その時期、私は毎日職場の駐車場にお兄の車があるかチェックしていた。

あと2分で始業時間なのにお兄の姿が見当たらない。

毎日下駄箱をチェックし、靴がないとその日は朝から仕事どころではない。

昼食時まで様子を見て、お兄がまたしても休んだことを確認。

私は、スタッフに何度頭を下げたことか…。

それでも、お兄は「また一から始めるつもりで頑張る」と毎回奮起し出勤するのだが、

また休む。今年に入り、1月2日だけ出勤。

10日付けで退職となる1週間で私はお兄の本音を聞き出した。

理由は冒頭で記した通り。お兄が私と同じ職場を選んだ時しつこいくらい

「親子が同じ職場で働くということ」はどういう事か、就職後も伝えてきた。

だから余計、お兄は私の立場を考え本音を言えずにいた。

この仕事は、物理的に受け付けない人は続けるのは無理だ。

朝、出勤しようと車に乗るけど頭痛、吐き気が出現すると…。

これは完全にストレスからきていたもの。

「もう少しなぁ、頑張ってもらいたかったなぁ」

それが本音ではあるが、そこまで身体に拒否反応が出ている以上、

無理をさせて本格的に精神が病んでしまったらそれこそ取り返しがつかない。

私は、自分自身が病んだ経験があるし職場で嫌というほど見ている。

だから、何時も頭には「精神を病まないように」それを最優先している。

お兄が私の立場と自分の気持ちの狭間で葛藤して苦しんでいる現実を、

1日でも早く楽にしてあげたかった。

お兄が就職面接に来る時から就職中、「宜しくお願いします」「ご迷惑かけてすみません」

何度頭をペコペコさせたことか…。

そして辞めるとなればそれこそ陰でボロクソ言われるだろう…。

でも、自分にかかるそんな事はどうでも良かった。

そんな状態にあるお兄をすぐにでも楽にしてあげたかった。

辞める前、辞めた後と私はスタッフに暫くの間、挨拶のように謝罪の言葉を発していた。

お兄の就職から退職後までの気疲れ、ストレスが久しぶりに私の身体に出た

 

不安感

どうやら私は、本当は精神的に弱いらしい。また「命の母」に頼ることになった。

お兄が退職し約2週間後、出勤時に車の中で急に不安感に襲われた。

こんなことでまた不安感に襲われる弱い自分が嫌で

「あ~~~!!嫌だ嫌だ嫌だ。。。!!」

と口に出しその不安感にのまれないように行動した。

その後は不定愁訴に襲われることなく2月18日に至るが、予防のために

「命の母」に頼ることにした。でも、今回は3日間服用しただけで済んだ。

「飲まなくても大丈夫だな。」「あ、飲み忘れた!」

という感じで、今は服用せず過ごしている。8年前のあの時みたいにならなくて良かった…。

とにかく私は仕事以外のストレスに弱いことを改めて実感した。

特に子供のことには。

これからも子供以外にも色々なストレスと付き合っていかなくてはならない

その度に「不安感」に負けないように自分を強くもって生きていくコツは、

多分「ケ・セラ・セラ」「なんとかなるさ」「なるようになるさ」の考え方なんだと思う。

私は「こうなったらどうしよう」とか先のことだけを考えすぎてしまう癖がある。

だから自分の中でどんどん考えだけが先走り、一人で不安と戦う羽目になる。

分かっているのだが、そういう時って中々その負のループから抜け出せないもので本当に、

しんどいものである。

簡単に考えの方向転換が出来る人は、そもそも「不安感」などにはならない。

昔はこんなんじゃなかったのになぁ。

ブログのタイトルを「ケ・セラ・セラ」にしたのも自分に言い聞かせる為でもあり…。

これからもがんばって

プラス思考でいこうと思う^^